
築百年を超える家で、百二十年とも百三十年とも伝えられますが、正確なところは今は分かっていません。現在のあるじ山崎正美のお父さんが住んでいました。父、山崎正男が亡くなった後、家は正美に任されました。住む人を失ったこの家を、正美は数年程度は維持をして、その後はなるままにまかせようと考えていました。ただ、戸窓を締め切ったままにしていては家の傷みも早く、それに家が可哀想だと考えたところ、近くの登山道を利用する多くの人々に気付きました。この登山道は、父正男が開設したもので、正男新道と呼ばれています。この人達に自由に使ってもらおう、そうすれば家も喜ぶだろう。そう正美は考え「みんなの家」として開放しました。
「みんなの家」はある時は登山者の休憩場所、ある時は地域の集まりの場として利用されていきました。そんなある日、「みんなの家」は「おおかみこどもの雨と雪」のロケ−ションハンティングをしていた細田監督の目にとまりました。細田監督は「イメージにぴったりで一目惚れし、どうしてもお願いするしかないと思った」とその日のうちに、映画の舞台として使いたいと打診されました。その後、大勢のスタッフによる撮影が行われて映画は完成し、現在に至っています。